第2話「成しうる者」

あらすじ

 配属初日に狡噛慎也との軋轢が生じてしまった朱。執行官との関係性を計りかねたまま、暗澹たる思いで公安局へ向かった彼女に出動命令がくだされる。自らの監視官という立場に悩みながら、現場へ向かう朱だったが……。 


「公安局監視官。 シビュラの先兵 。厚生省のエリートコース。この社会に 適応出来ない人間が発生することも、システムはシステムに組み込んでいる。 重要なのは最大多数の最大幸福であり、全人口の幸福ではない。  治安が悪い地区をある程度放置するのは重要だ。不可能を実現しようとすれば必ず破綻する。完全な社会は完全な社会を 諦めることによって成立する。シビュラシステムとはそういうものなんだろう。……しかしだ。あの事件、あいつの死は明らかに異常だった。 シビュラシステム運営下にはありえないタイプの犯罪。そんなことを出来る奴がどこに、どうやって。」(第2話 狡噛慎也 独白)


最大多数の最大幸福とは(ジェレミ・ベンサム Jeremy Bentham) 

ベンサム(1748.2.15 – 1832.6.6)はイギリスの哲学者・法学者である。主著は『道徳および立法の諸原理序説』。「最大多数の最大幸福」と述べ、政治的には普通選挙、倫理学においては功利主義の発展に勤めた。
ベンサムは、快楽と苦痛が人問を支配する自然的事実から出発して、快楽や幸福を増大するものを善、苦痛や不幸をもたらすものを悪と判断する、功利の原則を道徳の 基準にする功利主義を説いた。
快楽を数量的に計算する快楽計算を提案し、個人の幸福の総和である「最大多数の最大幸福」を道徳や立法の指導原理とし、社会全体の幸福を拡大することをとなえた。また、幸福の分配においては、各人は平等に一人として数えられなければならず、誰にも特権による加算は認められないと説いて、市民社会の平等の原則を貫いた。そのような信念のもとに、普通選挙をめざす選举法改正の運動にも努力した。



 ➤つまり、良い行いをしようが悪い行いをしようが、快楽や幸福を増大するものを善とし、苦痛や不幸をもたらすものを悪と判断する。行為は関係ないということであると解釈出来る。(功利主義)。 

➤最大多数の最大幸福
人と人の間には利害の衝突があり、全ての人が幸福になることはありえないので、少数の犠牲があってもできるだけ多数の人が幸福になることが全体の幸福であると考えた。つまり、理想論としてではなく、現実問題としての幸福論を唱えたのである。 

このことから…
シビュラにとっての不具合(悪)とは犯罪、潜在犯のこと。
平和を維持するために、シビュラの判定(善)が必要であるため、その犯罪の程度・罪の内容は問わず、潜在犯であると認定されてしまえば、それは(悪)であるとされる。よって、理不尽であろうとなかろうと、「最大多数の最大幸福」を達成するために、シビュラは絶対的に(善)であると解釈できる。 が、「最大多数の最大幸福」のために一部の人間(潜在犯)が排除、あるいは隔離されている現状は本当に(善)であると言えるのか?ここに対するシビュラシステムの功利主義の問題点が発生する。

表面的には平和を維持できている世界。
だが、それはシビュラの排除(この行い事態は悪であると思われるが……)によって実現されている仮初の平和である。悪をもって、それを善であると判断することは矛盾していないだろうか……。
(シビュラ的には問題はないとされているが、この点がサイコパス1期における一番の問題提起部分である) 加えて、シビュラが善悪を判断している基準が「犯罪係数」のみという点が恐ろしい。
ここに功利主義の考えを反映させると、たとえ行いが悪だったとしても、「犯罪係数」さえ犯罪者のラインを越えなければそれは悪であると審判出来ないのである。おまけに縢のように何も「行為」を犯していないにもかかわらず、ただ「可能性が高い」というだけで潜在犯、犯罪者認定をされるのだから、あまりにも理不尽すぎる。そして、幸福の総和=世界が平和であれば、犠牲など関係ないとするのだから、本当に恐ろしいシステムである。(新編集版で狡噛の独白シーンを冒頭に挿入したことで、よりシビュラが抱える問題点に早期から着眼しやすくなっている) 


配属初日の失態を悔やみ落ち込む朱。

「成しうる者が成すべきをなす。これこそシビュラが人類にもたらした恩寵である」(第2話 船原ゆき セリフ)

➤ここでは落ち込む朱に対し、ゆきが励まそうと掛けたセリフだが、簡単に訳すと「出来ない人間に出来ない試練をシビュラは与えない=朱なら出来る」と言っているのだと考えられる。だが、話のタイトルにもなっている「成しうる者」とは朱と狡噛の二人を指しているのではないかと思われる。冒頭での独白シーンの追加によって、「成すべきをなす」つまり後の「復讐」、「正義の選択」に繋がっていると考える。

友人たちと別れ、公安局へと出勤した朱。

エリアストレス上昇の警報が鳴り、朱と征陸は出動する。

征陸はスキャンなしで潜在犯を特定し、対象を確保するが、朱は何も出来なかった自分の不甲斐なさに憤りを感じる。


ここで縢との対話シーン。



「今じゃシビュラシステムがそいつの才能を読み取って、一番幸せになれる生き方を教えてくれるってのに。本当の人生?生まれてきた意味?そんなもんで悩むやつがいるなんて考えもしなかったよ。俺なんて5歳でサイコパス検診に弾かれて以来ずっと潜在犯だぜ。治療更生の見込みゼロ。だから今、俺はここにいる。一生隔離施設で過ごすより、公安局の猟犬になって殺し屋稼業を引き受ける方がマシだから。俺にはそれしかなかったからさ。俺、別にあんたに意地悪するつもりはなかったんだけどさ、気が変ったわ。だから改めて聞いてやる。あんた、なんで監視官なんかになったんだ」


➤ここの対話シーンから、シビュラシステムの負の部分(シビュラの罪)の部分が浮き彫りになっている。



狡噛との対話シーン。

自分の正義、選択に対して葛藤する朱。(シビュラの判断に従わなかったこと、縢から言われたことに対し、自分の考えは間違っているのでは?と悩んでいる)

狡噛との対話を経て、自分の信じる正義を見つける。


「あんたは何が正しいのかを自分で判断した。役目より正義を優先できた。そういう上司の下なら、俺はただの犬ではなく刑事として働けるかもしれない」(第2話 狡噛慎也 セリフ) 


➤このセリフからも、この世界での正しさ=シビュラで判断することなく、自分の考える正義を貫くことがどれだけ尊いものか伺うことが出来る。正義とは何か、正しさとは何か。この答えがこのシリーズにおける要であると、第2話を通して明白になっている。

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